今日、手元に一冊の古書が届いた。
「回想 欧州の一角より見た第二次世界大戦と日本の外交」著者は、大久保利隆氏である。
この本は私家版であり、市販はされなかったので絶対数が少なく、そもそも大久保利隆氏とは何者なのかも知る人は非常に少ないに違いない。インターネットで検索しても、ほとんど引っかかることはないし、仮に引っかかったとしても、その事跡について紹介しているサイトは皆無であろう。
しかし、私は学生時代、この本の存在を知ってからひたすらこれを追い求め、ようやく国立国会図書館でこの本に出会うことが出来た。当時の私はインターネットの存在もよく知らず、NDLの蔵書検索もCD-ROMで行うなど、たった10年弱昔の話しながら、情報収集環境は現在とは雲泥の差であった。
当時貧乏学生だったため、NDLと外交史料館の法外なコピー代に泣きながら、それでもようやく出会えたこの本のコピーにかじりつきながら、徹夜で論文を書いた。
大学を卒業してもう8年になるけれど、今振り返ってみてもあのころの自分は燃えていたと思うし、我が事ながら誇らしい気持ちになる。
私の大学時代、日本現代史研究といえば靖国問題、教科書検定、天皇の戦争責任、731部隊あたりが流行であり、それこそなんとか民衆法廷のように特定のイデオロギーがべったりとはりついているような観があった。
「歴史は科学だ」と生意気盛りの私は周囲に言いまくっていた。事の善悪を判断することなく、主観をもってあるべき論でかたるのでもなく、ひたすら一次史料を追い求め、その信憑性を別の史料で検証して真実に迫っていく。歴史学という人文科学も自然科学と同じ方法論で研究が行われなければならないと考えたからである。新しい分野の研究をしないで、既に語りつくされたような靖国や戦争責任を題材に主観的な議論に明け暮れたり、先行研究を丸写しするような現代史ゼミに辟易していたというのが正直なところである。
先行研究の無いローカルな外交史を研究のテーマに選んだのも、そういった喧騒から離れたところに立ちたいという思いが強かったからだろう。
昨今は、インターネット上に様々な情報が氾濫し、私もよく利用する。しかし、出典も定かでない書き込みが、コピペで転記されていくにしたがって「事実」となり、それをもって議論に決着をつけようとするようなことがしばしば起こっており、寒心に耐えない。
読みやすい歴史評論本が出回る一方、史料集等は絶版が相次いでいる。一次史料は素材であり、一般の歴史書はそれを用いた料理である。ゆえに料理人によってどのような味付けがされているかはわからない。
歴史を論ずる時には、あくまで証拠と立証に準拠した科学的視野を忘れないで欲しいと願うばかりである。8年ぶりに再会したこの回想録。歴史研究に奉げた青春の思い出として大事にしていきたい。
あれ・・・こんなこと書くブログだったっけ?(^o^;)
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