ドイツからの贈りもの
歴史発掘スペシャル ドイツからの贈りもの~国境を越えた奇跡の物語~
<大のサッカー好き、勝村政信がドイツを旅することになったきっかけは、ある1枚の写真。それは、似島にドイツ人の捕虜収容所があった1919年、広島で初めてサッカーの日独交流試合が行われたときのもの。日本チームは、広島師範学校の学徒たち。対するは、囚われの身となっていたドイツ人捕虜たち。防戦一方だった日本のサッカーは、欧州サッカーの洗礼を受けた。
「日本サッカーの礎を築いてくれた、ドイツ人捕虜とは?」。こうして勝村の子孫探しの旅が始まった。>
いやー、いい意味で裏切られました。こんなに良作とは思わなかった。よくあるサッカー紀行番組だろ、映画化される坂東捕虜収容所の二番煎じだろと思って見始めたら、いつの間にか引き込まれてしまった。
日本サッカーの源流となった、似島俘虜収容所のドイツ軍サッカーチームと広島師範学校の試合。それに参加したドイツ側イレブンのその後を、残された一葉の集合写真から探す旅なんだけど、一人は試合からわずか三ヵ月後、インフルエンザに罹患して日本で病死、他の選手も解放後行方不明になっていたり、ドイツへ帰国するも第二次大戦で再び出征、東部戦線で戦死していたりとなかなか足跡を追うことが出来ない。
彼らの足跡を追う傍ら、解放後日本に残って菓子店を開いたユーハイムやソーセージ職人ヘルマン・ウォルシュケについても紹介。彼らの波乱に満ちた人生には思わず絶句。(ウォルシュケは人は日本でソーセージやハムを作って成功し、ベーブルースが来日した時にはホットドックを日本ではじめて作って広めた。しかし、第二次大戦中は長野県野尻湖で軟禁生活を送り、終戦後は再びソーセージを作って成功を収めるも、戦争の混乱からドイツと日本間を何度も往復していた友人からの手紙が32年ぶりに届いたことから、望郷の念が沸き起こり、入国が極めて困難になっていた冷戦下の東ドイツへ旅するために奔走した。ようやく許可が下り、あと数日で出発という日、彼は心臓発作でこの世を去った。お店を継いだ息子さん御夫妻が守る彼のお墓の墓碑銘は「遠く離れた祖国、ドイツを誇りにし、第二の故郷、日本を愛したヘルマン・ウォルシュケこヽに眠る」と刻まれている。)
また、勝村さんも行く先々でW杯のスタジアムを見学したり、ビールを飲んだり、バームクーヘンを作ったりとしっかり旅番組もやっている。(美味しそう!)
そして最後。遂に一人の足跡が判明した。彼は故郷に戻ってから地元の村で小さなクラブチームを作って初代会長になっていた。そこで明らかになる意外な事実。
(以下、ネタばれ。白字で書いてあります。)
そのサッカークラブは、今でも500人のメンバーを抱える歴史あるクラブとして残っているが、そのクラブでサッカー人生をスタートさせたのが、ギド・ブッフバルト。日本に近代サッカーを伝えたドイツ人が創設したクラブでプレーしたブッフバルトが選手として来日し、いまはレッズの監督として指導に当たっている。あまりに不思議な縁というほかは無い。
勝村さんがそのクラブチームの練習に参加したあと、そのクラブゆかりの人物が今の日本代表にエールを送って番組は終わった。
あー、こんな見ごたえのある番組なら録画しとくんだった。再放送やってくれないかなー。
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